見たもの、聞いたものの記録、その感想
夜を描くこと
夜を描いてみる。
黒い絵の具だけで空を描くと重すぎる。青も混ぜてみる。星は黄色いというよりは青白く表現してみる。吉田瀬七の夜は、何となく青みを帯びているようだ。
夜は暗いものとは思わない。昼間は見えない星が輝く。月が光る日もある。薄い膜に肌が覆われるようで、ユラユラと落ち着く。
だから人は、夜に眠るのだろう。
個展に向けてのこと
試行錯誤を進める。
色で遊んでみようか。形で語ってみようか。
前回の個展では「詩人」と言われたことが何となく悔しかった。言葉は好きだが吉田瀬七は「画家」でいたい。
考えることは苦手だが、テーマの一つでも決めようか。壮大なテーマでなくてもいい。使う色も固定してみようか。
個展は秋と冬に行う。まだまだ先だと思っているとあっという間にやって来る。油断大敵。
色で遊ぶこと
絵の具を使って少し遊ぼうか。
絵皿に多めに絵の具を乗せて、画面にベタッと塗りつけていく。偶に指先に絵の具をつけて伸ばしてみる。絵の具の感触は冷たくて気持ちいい。
遠近感を出してみようと手前の野原に青い影を入れてみる。どうだろうかと思ったが、赤い絵の具と合わせて伸ばしたり、重ねたりしているうちにいい具合になってきた。
本日、加筆して完成。久しぶりに気持ちよく絵の具を使うことができた。
目標を持って作品を描くこと
今日からF50の作品に取り掛かる。
これは、公募展に向けた作品だが制作途中、構図や色遣いに納得できないところが生じてしまい、そのまま放置してしまっていた。しかし、今日改めて見直すと、どうにかなりそうである。吉田瀬七は、再びこの作品に取り掛かることにする。
吉田瀬七はどこか焦っている。何もしていないと何かに追われているような気がする。それで、焦る。
しかし、今回このF50の作品と再び向き合って、落ち着く気持ちが生まれた。焦る必要はないようである。公募展の締切までにはきっと出来上がる。落ち着く。落ち着く。
朗読を聴きながら絵を描くこと
この頃の作業用BGMは夏目漱石の「三四郎」。
序盤は軽快な雰囲気で進む物語だが、三章にて酷く残酷な描写があるのに驚かされる。それがまるで、残酷でないかのように淡々とした文章で表現されているのが恐ろしい。恐ろしがる主人公の描写に、漸く事件の残酷さを教えられるようである。これも一つの「技」なのだろうか。
「三四郎」の中では、池の側にて左手に花を持った女が花の香を嗅ぎながら登場する場面が一番好きだと思う。
楽しかった今日のこと
今日は朝寝坊をした。あまり気分の良くない朝寝坊だった。怠い頭を起こして、吉田瀬七は顔を洗う。
午後はお出かけ。髪飾りをやめてイヤリングをつける。行き先は最近発見したカフェである。行ってみると着ていたものを大変褒められて吉田瀬七は嬉しく思う。帰り道、好きな花を見つけて気分が良い。写真を撮る。パシャパシャ。
偶にはこんな日もある。
ヤマユリのこと
母から送られた画像を元にヤマユリを友禅の図案風に描いてみる。
どちらも白いユリではあるのだが青と赤を使って対照的な色合いのユリの花を二つ描く。下地は渋みのある青味がかった緑を使った。一見すると地味だが、ユリの花の色が鮮やかなので、これはこれで味のある色と言えるかもしれない。
湿度の高い、暗い日のこと
こういう日の吉田瀬七は朝寝坊をする。体が、起きることを許さないようである。
朝起きて、まず10分間のドローイングをすることが、この頃の吉田瀬七の日課である。
絵から離れてみようにも「絵を描くべきだ」という気持ちには逆らえない。自分の欲求というよりは、誰かから命じられるようだ。結局今日も、筆を持つ。
描きたいものが分からないとき、吉田瀬七はがむしゃらである。呆然とすることが、吉田瀬七には怖い。だから、描いている。描くべきものが、分からなくても。
「描くべき」と命じられ続けるからには、きっと「描くべき」なのだ。
いつか、自分の本当に「描きたい」絵を描いて、筆を持ったままパタリと気絶したい。
作品に丁寧に向き合うこと
この頃「描くこと」ではなく「作品を完成させること」の方に重きを置いている気がする。
吉田瀬七は思う。
「危ない。このままでは……」
目が潰れるかもしれないことが怖かった。絵が描けなくなるかもしれない未来が怖かった。今は、それほどの恐怖はないようだ。
「危ない。危ない。このままでは……」
散歩のこと
外に出てみたら、じっとりと暑かった。呼吸をするたびに汗が湧くようだった。
公園の植物もこの暑さに参っているのか、ダラリとして元気がなかった。見たかった花も、大抵散ってしまって、後にはどうにか茎にしがみついているような萎びて色の変わった花しかなかった。
去年はたくさん見た白いユリの花を見たいのだが、まだ盛りの時期ではないのだろうか。
青と夕焼け色のこと
本日の吉田瀬七の一日。
午前は美術館へお出かけ。着る物は古着屋の展示会で買ったちょっとお気に入りの濃い青の和服。風が吹いて長い袂が体に纏わりつくようだ。和服で出かけるというだけで、吉田瀬七はご機嫌である。
午後、絵の具を使って作業。夕焼け色と淡い青の作品を描こうか。見ていて綺麗と言われるのは青い作品の方が多いが吉田瀬七は夕焼け色も好きだ。故郷の夕焼け色が、思い出の中に濃いからだろうか。
今は夜。吉田瀬七は穏やかである。
体が心をつれてくるのか、心が体を引っ張るのか、ということ
要するに、自分は何がしたいのか、というタイトルである。
他人よりも出来ないことがほんの少し多いというのが、吉田瀬七の自己分析である。その分、他人よりも出来ると思っている部分には、自信がある。だから、それが否定されると必要以上に落ち込む。そして、他人の真似をする。出来ないことを、出来るように装う。
そうすると、疑問が生まれる。
「自分は何がしたいのか」
他人に認められないことに意味はあるのか。他人から褒められて意味が生まれるのか。吉田瀬七は他人から褒められた分だけ自分の存在を確かめることができる。弱い人間なのだろう。しかし、そういう「吉田瀬七」として生きてきた。
「自分は何がしたいのか」
きっとこの疑問は、吉田瀬七が考えるより難しい。しかし、答えは割と、あっさりしている。
「吉田瀬七は生きていたい」
「或る旅人の日記より」のこと
タイトルの通り。
「或る旅人」が旅先で見た風景、経験したこと、その感想をテーマにした作品を描きたいと思う。
記念すべき第一作は「或る旅人」が見た夕焼け。希望と、ほんの少しの寂しさを混ぜたような色を意識した。
小説を読むこと
吉田瀬七は小説が好きだ。
小学生の頃に古本屋で買ってもらった「若草物語」から吉田瀬七の読書生活は始まっている。
小さい頃はファンタジー小説を中心に読み漁っていたが、今は純文学をよく読む。特に、明治・大正に活躍した小説家の文章には、なんとも言えない「くすみ」と「匂い」があって好きだ。
ノンフィクションは読まない。
現実で起こった「痛み」からは、目を逸らしたいのだ。