日々の記録
描き続けること
大切なことを語る言葉を知らないから
あなたとなるべく長く楽しい会話をしたいから
あなたが傷つけた私は
今もここで呼吸しているから
色々カッコつけてみるけれど
要するに
私はここにいるのだと
叫んでいるだけ
何かを期待して生まれたわけじゃない
この空はあなたの悲しみに寄り添わない
この風はあなたの傷を慰めない
生まれたなら生きなさい
私の命は私のものだと
そこで一人で吠えていなさい
◇◇◇
木製パネルにアクリル絵の具。
実は息抜きで描き始めた作品。
ペンによる黒い模様で重くなった頭を少しでも軽くしようと思って描き始めた。
せっかくなら普段あまり使わない色彩に挑戦しようと、焦茶とベージュと黒を使っている。オレンジと黄緑は普段から好きでよく使う組み合わせ。
この言葉は来世には届かない
あなたに生んでもらったことは
私の幸せでした
あなたに名前を与えてもらったことは
私の喜びでした
あなたに愛されることは
私が私を愛することでした
大事にしてくれてありがとう
◇◇◇
以前描いた作品のリメイク。
夕焼けと海を背景に手前に崖を描く。
夕焼けは赤とオレンジと緑で描く。雲の色は黄を使っている。
あなたは優しい人なので
厚い雲の向こうからも
あなたのために光が降り注ぎます
ほんの少しの雨が降りかかっても
あなたの上に雷は落ちません
他人を大事にした分だけ
自分を大事にして欲しいです
あなたの負った傷はきっと治ります
今日はさようなら
明日また会いましょう
◇◇◇
木製パネルに雲肌麻紙を貼り付けている。
ケント紙よりも色が柔らかく現れる印象。
印影の部分はパーマネントオレンジとパーマネントグリーンミドルを混ぜて表現した。
ドロッピングに使った色はパーマネントレモンイエロー、スカイブルー、パーマネントグリーンミドル、パーマネントオレンジ、ミキシングホワイト。
成長のこと
湿気の多い季節になると、気分が重くなる日が続く。
以前、個展にて「似たような作品がある」と言われたことが引っかかっている。
指摘という調子でもなく、気持ちよく作品を観てもらったが、非常に重要な意見を鼻先に突きつけられて、目を離してはいけない気がした。
誰かの心に残る作品を描くのなら「似たような作品」が続くのは良くない。
吉田瀬七は色の構成に優れているという自負があるから、もっと自然を見つめて、様々な色彩で目を洗うべきだ。
生きている作品のこと
チーズケーキが美味しいカフェに行く。
そこでは吉田瀬七の好きなアーティストの作品展が行われている。初日にも観に行ったが、今日、再び観に行く。
行ってみて驚いた。
動物と花が描かれた作品が飾られているのだが、その一つ一つ、というより一匹一匹の表情が、最初に観たときと表情が違っている。展示の仕方を少し調整したらしいが、それだけではない気がする。
生きている。
そう思ったのだ。
絵画展を観に行ったこと
先日、仙台メディアテークで開催されていた絵画展を観に行く。
吉田瀬七の作品も展示されていた。
なかなか力の籠った作品が多く、脚がくたびれそうなことを感じながらも、そろそろ帰ろうかという気分には、長いことならなかった。
これは、吉田瀬七にしては珍しいことである。
やはり、自分の作品が一番好きだと吉田瀬七は思う。
結局、それの何が好きかと問われると「色」と答えるだろう。
刺すように鮮烈でありながら、丸い形を感じさせる「色」が好きだ。
伝えること
琴線に引っかかった作品
私にとってそれは、男の生首を持って宙に浮かぶ黒髪の妖女である
命を探して、自分の生きていることを叫んでいる痛々しいほどの黄色である
その柔らかさが伝わってくるような、子どもの頰である
それらを、ただ「好き」だと思っていた
単純に
けれど「好き」は私が思っているほど単純に伝えていい言葉ではないかもしれない
「無関心」になった自分に気づいたとき、悲しいから
だから今は「良い」と言っている
幾千もの宝石のこと
口も利いたことがない、
向こうは私のことを何も知らない、
つまり、私が勝手に尊敬している人なのだが、
その人がある日本の画家について「幾千もの宝石をぶちまけた人」という表現をしたのである。
「宝石」という言葉には色々な言葉が当てはめられそうだ。
「才能」「運」「愛」……
その画家の持っていた「宝石」は
「才能」だった。
「文学」と「美術」。
吉田瀬七は、「幾千もの宝石」を持たない。
握らされた「石ころ」をせっせと磨いている。
この頃では
「悪くない輝きをするようになったじゃないか」と言ってみたい。
「石ころ」を磨くには、捨てなければならない「石ころ」もあるだろう。
それが、ほんの少し寂しい。
カフェにて人を待つこと
昨日、和服を着て出掛けて、その疲れがまだ残っているようにも感じる体を、引きずり、引きずり、近くのカフェへ行く。そこで待ち合わせをする。近く、といっても自宅からバスと徒歩で一時間くらいかかるのである。
今日は少し暑いようだ。座っていると、座面と接している腿の裏にじわじわと汗をかく。カフェにはイラストが展示されていて、何となく、ホッと和むようだ。
「かくらこう」という人の物語を読む。ビスケットの裏に物語が書いている。下書きをせずに淡い色で描かれたような夢を感じる。好きだ、と思う物語もあった。
ランチを食べた後、谷崎潤一郎の「卍」を読みながら、人を待つ。だいぶ前に読んで、それきり再読しようとも思わなかったが、ふっと谷崎潤一郎の書く大阪弁に触れたくなって読み始める。柔らかい語り口調である。
カフェの店内の柱には、私の絵が二点飾られている。
待ち人は午後二時頃に来る。
個展を終えてのこと
仙台のカフェでの個展が終わる。
こういう書き方は、まるで仙台以外でも個展をしたことがあるようだ、とも取られるかもしれないが実際のところ、仙台以外で個展をしたことはない。
無名の人の中にも立派な人は沢山いるが、吉田瀬七は立派な人に見つけてもらいたいと考えている人物である。その為に、まず故郷に近いところで有名になりたい。しかし、それにはまだ自信が足りない。
今回の個展で、吉田瀬七はまた一つ経験を積んだ。前に進んだかどうかはよく分からないが、とにかく経験を積んだ。今はそれが重要だと考える。
こういう絵もたまには描きたい、ということ
自分の作品を描くときは、できるだけ強い色を出すように心がけているが、優しい、淡いタッチの色合いの絵も好きだ。
人間と会話するのは難しいが、人間を描くのもなかなか嫌いではない。
今回、夜中に思いついてサラサラと描いてみた。川端康成の「古都」に出てくる千重子のイメージである。
べんがら格子が隔てた、姉妹の運命が切ない。
読書のこと
久しぶりに読書でもしようか、と思う。
月に二、三冊は読む習慣を持っていたが、今月はまだ一冊も読んでいない。しかし、立東舎の「乙女の本棚」シリーズはお気に入りで、よく読む。この頃は、ホノジロトヲジ氏がイラストを書き下ろした泉鏡花の「外科室」を読んだ。儚く光るような幻想的なイラストが、泉鏡花の書いた物語の中へ誘い込むようだった。芯に灯が灯っているような蝋に似た手で。
川端康成の文章も掴みどころがない色気があって好きだ。色気、というと笑われそうだが、美しい、という言葉よりは、色気、という言葉を使いたい。いやらしい、のではなく、哀しい。透明な哀しさだ。
川端康成の文章に触れようか。有名なのは「雪国」だが「古都」も好きだ。「古都」を読もうか。川端康成の文章で、セピア色の「古都」を読もうか。
「今日の日記」のこと
久しぶりに納得ができる絵を描くことが出来て嬉しい。
タイトルは「今日の日記」。
背景はオレンジと青と黄の絵の具でドロッピングをする。何となく、夜の雰囲気を感じる。その上から、ペンで模様を描く。みっしりと描き過ぎないように注意する。
手前には葉のついていない木を背景と同じ色を使って描く。近所の公園にある木。写真を撮って小さなノートに繰り返しスケッチをした。もちろん、実際の色とは違うのだがとても良い印象になった。
今後も色を生かした作品制作を頑張る。