見たもの、聞いたものの記録、その感想
「それは夕焼けをつれてきた」のこと
今日描いた絵のタイトル。
オレンジと黄色、水色はなかなか好きな組み合わせ。
背景のグレーは淡い青が乾いた後、オレンジを塗り、それが乾いた後で最初に塗った青よりも濃い青を塗った。マットな仕上がりを予想していたが、思いがけない滲み具合が良い感じ。
いくらのようなつぶつぶのこと
吉田瀬七の描く作品の中には、しばしば「いくらのようなつぶつぶ」が登場する。それは一体なんなのだろうか。
言葉にならない言葉だろうか。なるほど、語りかけてくるようだ。胸の奥で凝っている想いだろうか。なるほど、そのようにも感じる。
要するに、この「いくらのようなつぶつぶ」の正体は吉田瀬七にも分からない。分からないけれど、ついてくる。ペンを持っていないときですら。
それを煩わしいと思うときもあるけれど、振り払おうとして振り払えるものではないのだ。きっと。それくらい、この「いくらのようなつぶつぶ」と吉田瀬七の付き合いは長い。
困ったものだと思うこともあるけれど、ついてくるなら仕方ない。
納得できなかったこと
吉田瀬七は納得できなかった。
何に納得できなかったのかというと、今日描いた絵である。
淡いピンクの背景に百合の花のシルエットを描いたら、窮屈な印象になった。
吉田瀬七は納得できなかった。
好きなものを同じ皿に好きなだけ盛り付けたところで、良いものが出来上がるとは限らないのだ。
自分の作品は、自分が一番好きでなければならない。きっと。
今日買った本のこと
吉田瀬七は本が好きだ。
フィクションが好きだ。画集が好きだ。純文学が好きだ。ファンタジーが好きだ。
今日、買った本はマツオヒロミさんの「万華鏡の庭」という画集。強気で、しかしどこか憂いを帯びた女性の視線に吸い寄せられる。レトロでオシャレな衣装も素敵だ。吉田瀬七も美人を描きたくなった。
今日の花、昨日の花のこと
今日の花は昨日の花ではなく、今日の花は明日の花ではない。
それでも、花は花というだけで綺麗だと、吉田瀬七は思う。
花はきっと、自分の美しいことを知っている。信じている、というより事実なのだと思う。
人が花を見て、美しいと感じるのは、多分そういうことだ。
空が鮮やかで雲が厚かったこと
帰省する車の中から見た風景。
この世界で誰かが泣いていて、誰かが笑っていて、誰かが幸せで、誰かが不幸せで。
けれど、鮮やかな空も厚い雲もそれを知らない。知っていたとしても、知らない風をして流れていく。
空を鮮やかだと思うのも、雲が厚くかぶさってくるようだと感じるのも、自分は今、幸せで、ちょっと不幸せだと考えるのも、吉田瀬七の勝手だろう。
世界にとっては、知らないことだ。
カラスウリのこと
今日、一冊の小説を読み終わった。
カラスウリをモチーフにした絵を描いてみようと思った。読み終わった小説の終盤で、主人公の息子の嫁がカラスウリを生けるシーンが印象に残ったからである。
インターネットでカラスウリについて少し調べてみると、菊や芍薬のように生ける花を咲かせる植物ではないようだ。
夜に花を咲かせる植物なのだ。
体が温かくてぼんやり重いこと
きっと、頑張った日だったのだと、吉田瀬七は思う。
とても良いことだ。いつもなら絵を描いている時間だが、今日はぼんやりしていよう。気が向いたなら、何か線でも引いてみようか。
吉田瀬七は頑張っている。今日眠れば、明日また、頑張れる。疲れたら、ぼんやりしよう。
人から親切にされること
人に意地悪をされると、人は他人に意地悪ばかりをすると思う。
人に親切にされると、人は他人に優しいものだと思う。
意地悪はなるべく受け流して、優しさには「ありがとう」を返したい。
当たり前のことだ。
けれど、難しいことだ。
行ったことのない場所に行ったこと
行ったことのない場所に行き、見たことのないものを見て、食べたことのないものを食べた。
こういう経験をたくさんして、たくさん語って、大事だと思うことは胸の中に仕舞って、時々取り出して眺めてみよう。
見上げると、厚い雲の隙間から青い空が見えた。
空は動くこと
夕方から、頭が重くなってきたと思ったら、空の色が変わっていた。
空の色が暗くなると、吉田瀬七の頭の中にも、雲がかかったように重くなる。耐えきれず、少し眠ったが、それでもまだ重いようだった。
これからの季節が思いやられる。
「細雪」のこと
谷崎潤一郎による小説。
吉田瀬七が和服に興味を持つようになった理由は色々あるだろうが、この小説による影響も決して少なくはないと思われる。
対照的な魅力を持った姉妹の姿が、谷崎潤一郎の筆により鮮やかに描かれている。まさに、絵巻物のような物語。
透明なゼリーのような容器のこと
光を描いた絵を見たときの感動。
苦しいとき一瞬だけ救ってくれた言葉。
二度と戻らない空の色。
それらを、透明なゼリーのような容器の中に、閉じ込めてしまえたら、などと考えた、蒸すような夜のこと。