見たもの、聞いたものの記録、その感想
次に描きたい作品のこと
吉田瀬七は悩んでいる。
悩み続けるとグッタリして、気がつくと気がついたことに気がついている。
絵の具が足りない。後先考えずガンガン使ってしまうからである。
これぞという作品を描けない。技術が足りない。想像力が足りない。努力が足りない。根気が足りない。我慢が足りない。
そして吉田瀬七は「よし」と決めて絵の具のチューブを力を込めてひねる。
また、後先考えず絵の具をガンガン使って描くのである。頭が追いつかなくても、手が勝手に動いてくれる。
色々考えるのは、手が止まった後で良い。
今、欲しいもののこと
吉田瀬七は、今、ゴッホの画集が欲しい。
どれくらい欲しいかというと、目についたらきっと手に取って表紙を撫でてしまうくらい欲しい。
ゴッホの色彩感覚は日本の浮世絵から影響を受けているらしい。そんな彼が、どんな鮮やかな日本を、どれほど美しい日本を、どれほど優しい日本を想像していたのか触れてみたい。
友禅のこと
吉田瀬七が友禅染めを習い始めて一年が経つ。
もともと吉田瀬七には友禅染めに興味があった。第一「友禅」という名前に華がある。見れば撫でたくなるほど美しい。
友禅染めを習い始めて分かったことは、美しいものを創り出すには我慢強さと繊細さと地道な努力が必要なこと。習い始めて一年が経つが、先生方に手伝ってもらいながらやっと作品が二枚完成しようとしているところ。山茶花と百合の花の柄である。拙くて恥ずかしいので、まだ画像は載せない。
あと何年かかるか分からないが、いつか自分だけの柄が描かれた帯を締めて街を歩きたい。
「それから」のこと
「それから」は夏目漱石による小説のタイトル。
吉田瀬七は好きなった小説は繰り返し読んでいる。「それから」も繰り返し読んでいる。
吉田瀬七は明治から大正時代にかけての小説が好きだ。文章を読む、というよりも、絵を見ているようだ。
「それから」には百合の花が印象的な作品でもある。吉田瀬七は百合の花も好きである。凛とした美しさを感じさせる。
「それから」は枕元に落ちた椿の花から始まり、めぐる赤い色で終わる。
糸蘭のこと
行きつけの美術館に、白い繊維がフワフワとまとわりついているような不思議な草があった。なんだろうと思っていたら、白い花が咲いていた。アプリで調べてみたところ「イトラン(糸蘭)」という名前を知った。花言葉は「勇ましい」「偉大」「私に近づかないで」。
年を取ること
ある漫画の中にあった、
「大人にはなりたくないけれど、年は取りたい。」
私は誰かを深く想ったり、心配したり、したことはない。
こんなに深く想われて、心配されて、いるけれど。
色のこと
「光」を描きたいと、思ったのだ。
「光」を描きたい、と思っただけでF80号のパネルに向かって絵の具をぶっつける。
なんとなく、ゴッホを思う。ゴッホのような人間にはなろうと思ってなれるものではないがゴッホの「星月夜」のような絵を描きたいと思う。正気ではない、しかし、その激しいうねりはどこか穏やかなものを感じさせる。
そうしたら、「これはすごいかもしれない」という「色」が生まれた。
吉田瀬七とは、まだこれだけの人間である。
「光」は描けない。しかし、「色」を生み出すことができる。