見たもの、聞いたものの記録、その感想
空は動くこと
夕方から、頭が重くなってきたと思ったら、空の色が変わっていた。
空の色が暗くなると、吉田瀬七の頭の中にも、雲がかかったように重くなる。耐えきれず、少し眠ったが、それでもまだ重いようだった。
これからの季節が思いやられる。
「細雪」のこと
谷崎潤一郎による小説。
吉田瀬七が和服に興味を持つようになった理由は色々あるだろうが、この小説による影響も決して少なくはないと思われる。
対照的な魅力を持った姉妹の姿が、谷崎潤一郎の筆により鮮やかに描かれている。まさに、絵巻物のような物語。
透明なゼリーのような容器のこと
光を描いた絵を見たときの感動。
苦しいとき一瞬だけ救ってくれた言葉。
二度と戻らない空の色。
それらを、透明なゼリーのような容器の中に、閉じ込めてしまえたら、などと考えた、蒸すような夜のこと。
ふせのりのこと
今日の吉田瀬七はクタクタである。
友禅染めの作業の一つ、ふせのり。
一日でこれくらいやるとしたら大体半日くらいかかることが分かった。
これくらい一生懸命にやっても綺麗に染まるかは分からない。滲みや染みも含めて友禅の醍醐味だとおっしゃったのは友禅染めを教えてくれている先生である。これから暑くなるが元気でいて欲しい。
日々勉強と失敗のこと
失敗をする。
やり直すことができるならやり直せばいい。最初からは難しいなら、途中からでも。
勉強をする。
教えられたことに腹を立てても、後から気がつくことがあるなら、それは学びだろう。
鳥は夜に舞い、魚は空を泳ぐこと
ただ単に思いついた言葉。
しかし、思いついたからには意味があるように思われる。
あり得ないことは存在し得ないということか。
単に美しいことの形容か。
考えることとクロッキーのこと
吉田瀬七は考える。考え始めると、考えることに夢中になって動くことを忘れる。だから、吉田瀬七は動く。動くのが辛くなれば考える。
画像は十分の時間制限で描いた百合の花のクロッキーである。使用したのはボールペンのみ。奥行きを出すのが難しい。
次に描きたい作品のこと
吉田瀬七は悩んでいる。
悩み続けるとグッタリして、気がつくと気がついたことに気がついている。
絵の具が足りない。後先考えずガンガン使ってしまうからである。
これぞという作品を描けない。技術が足りない。想像力が足りない。努力が足りない。根気が足りない。我慢が足りない。
そして吉田瀬七は「よし」と決めて絵の具のチューブを力を込めてひねる。
また、後先考えず絵の具をガンガン使って描くのである。頭が追いつかなくても、手が勝手に動いてくれる。
色々考えるのは、手が止まった後で良い。
今、欲しいもののこと
吉田瀬七は、今、ゴッホの画集が欲しい。
どれくらい欲しいかというと、目についたらきっと手に取って表紙を撫でてしまうくらい欲しい。
ゴッホの色彩感覚は日本の浮世絵から影響を受けているらしい。そんな彼が、どんな鮮やかな日本を、どれほど美しい日本を、どれほど優しい日本を想像していたのか触れてみたい。
友禅のこと
吉田瀬七が友禅染めを習い始めて一年が経つ。
もともと吉田瀬七には友禅染めに興味があった。第一「友禅」という名前に華がある。見れば撫でたくなるほど美しい。
友禅染めを習い始めて分かったことは、美しいものを創り出すには我慢強さと繊細さと地道な努力が必要なこと。習い始めて一年が経つが、先生方に手伝ってもらいながらやっと作品が二枚完成しようとしているところ。山茶花と百合の花の柄である。拙くて恥ずかしいので、まだ画像は載せない。
あと何年かかるか分からないが、いつか自分だけの柄が描かれた帯を締めて街を歩きたい。
「それから」のこと
「それから」は夏目漱石による小説のタイトル。
吉田瀬七は好きなった小説は繰り返し読んでいる。「それから」も繰り返し読んでいる。
吉田瀬七は明治から大正時代にかけての小説が好きだ。文章を読む、というよりも、絵を見ているようだ。
「それから」には百合の花が印象的な作品でもある。吉田瀬七は百合の花も好きである。凛とした美しさを感じさせる。
「それから」は枕元に落ちた椿の花から始まり、めぐる赤い色で終わる。
糸蘭のこと
行きつけの美術館に、白い繊維がフワフワとまとわりついているような不思議な草があった。なんだろうと思っていたら、白い花が咲いていた。アプリで調べてみたところ「イトラン(糸蘭)」という名前を知った。花言葉は「勇ましい」「偉大」「私に近づかないで」。
年を取ること
ある漫画の中にあった、
「大人にはなりたくないけれど、年は取りたい。」
私は誰かを深く想ったり、心配したり、したことはない。
こんなに深く想われて、心配されて、いるけれど。